人生は、「どんな人と出会い、どんな言葉をかけてもらうか」によって明暗が決まると思います。
自我が芽生えていない子どものころに悪い決めつけ言葉を言われたら、自信をもてないまま成長してしまうかもしれません。
知的障がいをもつ息子を育てるなかで、障がいを理解する気がない校長や教頭に出会いました。
また、息子の力を見つけてくれた担任の先生に出会えました。
担任の先生の気づき
10年以上前を振り返ります。
知的障がいがありながら通常学級で過ごして小学4年生になりました。私は息子の隣で一緒に授業を受けていました。
ある日の算数【図形】の授業で、下準備として教科書についている三角形や四角形の図形を息子たちは切り抜きました。そして三角形や四角形を組み合わせて図形を作ったり、展開図問題を解いたりしました。
教室の生徒の間を回っていた先生が息子の席に来たとき、しばらく様子を見たあとに「空間認識能力がありますね」と、おっしゃいました。
「ありますね」と言われただけで、「優れていますね」と言われたわけではありません。しかし、能力という言葉を使うと、すごいことのように思えました。
「空間認識能力がありますね」という担任の先生の一言は、息子と私を肯定してくれたようで、あのころの一筋の光のように感じました。
空間認識能力とは?
空間認識能力とは、物体の位置・方向・姿勢・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握、認識する能力のこと。
ウィキペディア ja.m.wikipedia.org
空間認識能力を高めるために良いとされていることが、息子は幼少から好きで得意でした。
空間認識能力を鍛える遊びは、お絵描き・外遊び(おにごっこ・ジャングルジムなど)・ブロック・積み木・折り紙・パズルなど。
学研教室 889100.com
息子の「空間認識能力」と「ルービックキューブ」という二つの言葉が結びついたのは、息子が6面完成を達成させたときです。先生に言われてから約10年後のことでした。
テニスやインラインスケートにも挑戦しました。アイキャッチ画像の3Dパズルのハートは息子が仕上げたものです。
校長が投げかけた 負の言葉
息子は4年間担任の先生に恵まれましたが、学校は理解者ばかりではありませんでした。
校長は入学前に、「通常学級で学ばせたい」と希望を話した夫に向かって、「おまえは子どものことを考えているのか!」とどなりました。
子どもの将来を考えているからこそ、夫婦で覚悟を決めた選択でした。逆境・逆風は目に見えていましたが、遅かれ早かれいつかは共生の道へ進んでいくと予見していました。
時代が私たちの考えに追い付いていないとしても、信念を通さなければ世の中は変わりません。
校長は入学後には、「〇〇君は脳の病気だから何をしてもムダですよ」と心無いことを言ったりもしました。
そして、私たち夫婦に「勝手にしろ!」との捨て台詞を吐きました。
次の校長も「理解なんかしていませんよ」と冷たく言う人でした。
教育の現場はこの先どうなっていくのか。健常者と障がい者は住み分けのままなのか。
一般的に使われる障害者という言葉を変えてほしいと思います。私は遅ればせながら、障がいの表記を使うことにしました。言葉は大事です。日本は遅れています。
教頭 逆境の因果応報
校長を始め校長の傘下に入っていた他の教師は、息子の良いところを見つけようともしないし、ほめることもありませんでした。
むしろ、何か欠点を見つけて学校から追い出そうと躍起になっているようにすら思えました。
校長にしてみたら、「自分が無事に転任するまで、誰ひとり問題を起こさないでくれ!」といった心境だったわけです。
この校長、教育者としては落第者でした。校長がこんなだからか教頭にも差別思考がありました。のちにこの教頭、息子の転校先の特別支援学校の校長として赴任してきました。
天の采配は容赦ないですね。偶然という名の必然。
新校長は、特別支援学校の保護者の評判がとても悪かったです。私はあえて悪口は言いませんでした。私が言わなくても校長の態度を見た保護者は校長の本質を見抜いていました。
新任校長の子どもたちを見る目があからさまに差別の目でした。新任紹介のときの校長、障がい児への嫌悪と動揺が体全体に出すぎでした。
私や私の息子を差別していた前学校の教頭(新任校長)は、この特別支援学校で保護者の洗礼を受けることになったのです。
新任校長、出世のための2、3年の我慢だと思っていたでしょうが、障がい児教育にかかわり一つでも気づきが得られたなら幸いです。
おわりに
担任の先生から空間認識能力の話を聞いて約10年後、息子はルービックキューブ6面完成を達成しています。(2024年8月現在、本棚に完成品が7個並んでいます。)
「脳の病気だから何をしてもムダ」と言い放った校長は、子どもの成長を願っていません。願っているのはおのれの出世のみです。
あの校長たちに対しては、人として呆れているし、期待もしていないので、「もうどうでもいい」です。ただ、「障がいをもっている人への人権に気づく機会を、天から与えられていると良いな」とは思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。